夢ナビゲーター
夢ナビゲーター(絶対に受けたい課外授業の講師陣)
アナタが共感できる人生のメンターを見つけてください!
「倶楽部 PayItForward」の選び抜かれたナビゲーターを紹介します!
- 吉田 賢治郎 ナビゲーター (ブロガー、大手企業の敏腕部長)
[エピソード] キーワードは「カッコいい」!10代のころは、“ゾク”をやっていました。いわゆる暴走族というやつです。当時は全国的に暴走族が盛んな時代でした。高校は地元の偏差値の低い学校でしたので、勉強はほとんどしませんでした。中学、高校は母1人に育てられ、学費から食事までほとんど自分の収入でやっていましたので、飲食店のウエーターやデパートのエレベーターボーイをやったり、建設現場で力仕事のアルバイトをしていました。
[プロフィール] http://blogs.itmedia.co.jp/kenjiro/bprofile.html
NEC 業務システム販売で4年連続トップセールスマンとして活躍後、初期のインターネット構築やグループウエアシステムの企画・商品化、販売促進などでソリューション推進部のリーダーを務める。99年、ロータス株式会社に入社し、マーケティング本部 販売促進部長などを務めた後、2003年より現在の日本アイ・ビー・エム株式会社に勤務し、現在は、インサイド・セールス・ソフトウエア事業部 部長を務める。
- 吉田 雅年 ナビゲーター ((株)ジャストプランニング 創業者 現代表取締役会長)
[エピソード] 資本金300万円で有限会社を立ち上げるが、その程度のお金はすぐにそこをつき、当時の自宅の家賃が払えず引き払い、事務所であった新小岩のワンルームのアパートで仕事と生活をすることとなった。
瞬間的に、170円しか所持金がなく、スクーターに1ℓのガソリンを入れたことも強く印象に残っている。ただ、周りの人脈・友人に恵まれていたので、飲み食いに困ることは一度もなかった。当時から決めていたことは、「借金しなければできない経営はしない」ということで、「稼いでから使う」ということをその後も徹底してきました。
[プロフィール]
29歳の時に有限会社ジャストプランニング設立し,1999年に現在も同社の主力サービスになっている「まかせてネット」を開発し、外食産業におけるASP(ApplicationServiceProvider)の草分け的存在となった。
2001年にジャスダック(JASDAQ)で上場を果たし2004年に代表取締役社長を引退して会長に就任する。
- 須賀 等 ナビゲーター (丸の内起業塾 塾長 ㈱タリーズコーヒジャパン 特別顧問)
[エピソード]
高校時代は日本式の詰め込み受験教育に疑問を持っており、自分のやりたいことをもっと深く学びたいと強く思うようになり、「受験英語」ではない本当の英語を必死で勉強しAFS という留学制度に合格。1年間、米国の高校に 留学し卒業しました。英語はもちろんのこと、米国人の考え方が実地でまるごと理解できて人生を変えるほど良い経験となりました。帰国後すぐに日本の高校に戻り高3 で 英検1級にパスしたものの、ホンモノの英語など教えられない英語教師からは煙たがられ、日本の受験英語は全く無意味で下らないといっては、よく大喧嘩していました。三井物産時代には、MBA 取得を勧められ、仕事をしながらGMAT等の受験勉強をして、ハーバード大の経営管理大学院に留学しました。授業の濃さといい、山のような宿題といい、もう軍隊並みの厳しさでした。まさに本当の地獄を味わった。ビジネスに必要な知識以上に、いかに自分で考え、物事の本質を見極め、かつリーダーシップとはどういうことかを徹底的に叩き込まれました。同じクラスの連中ともまさに運命共同体的な深いつながりができてね、今では色々な国で起業して成功したり、企業トップや 政府高官になっている者も多いけど、彼らとは互いに強い信頼関係で結ばれている“戦友”です。
[プロフィール]
早稲田大学政治経済学部政治学科、ハーバード大学経営学大学院卒(MBA)。MBA取得後は三井物産においてM&A部門を創設。 10年近く同社及び顧客企業の数多くのM&A案件を海外各地及び国内で成功させる。1996年、三井グループ系ベンチャーキャピタル、(株)エム・ヴィー・シー(現三井物産グローバル投資㈱)の初代代表取締役社長に就任。タリーズコーヒージャパン(株)を松田公太氏が同社創業時に発掘、投資・育成を手がけ同社取締役副会長として創業2 年半強でNasdaq-J (後のヘラクレス)市場へ上場させ、更に2006年の同社㈱伊藤園への経営権の譲渡にも大きな役割を果たす。又タリーズ以外にも出資育成し上場・成功させたベンチャーは大戸屋・ケアネット等多業種多地域に及ぶ。2000 年に三井物産/エム・ヴィー・シー退任後、外資系金融機関等の在日代表等を経て、2004 年に三菱地所後援により丸の内起業塾創設、以来塾長として、2013年末現在265名の卒塾生を世に送り出す。現在タリーズコーヒジャパン㈱ 特別顧問の他、日・米・シンガポールにおいてベンチャー企業等の取締役・顧問等多数。2006年より国際教養大学グローバルビジネス課程客員教授。2010年~慶應義塾大学経営管理大学院、2009年~京都大学産官学連携本部非常勤講師。 2009年~経済産業省「大学・大学院起業家教育推進ネットワーク」アドバイザリーボード委員。2008年Japan Venture Awards 2008 起業支援家部門 中小企業庁長官賞 受賞。
[リファレンス]
http://www.odyssey-com.co.jp/venture/lecturer
http://www.v-shien.jp/2013/04/post-11.html
http://bit.ly/Nm7xUs 共著「ケースで学ぶ実戦・起業塾」
- 齋藤 ウィリアム ナビゲーター ((株)インテカー代表取締役 内閣府本府参与)
[エピソード]
14歳でコンピュータービジネスをスタートし、1991年UCLA医学部在学中にカリフォルニア州でI/O Software,Inc.を設立。世界最先端のセキュリティー技術を提供し、160社以上の企業とライセンス契約を締結する。2004年同社をマイクロソフト社に売却した後、東京に拠点を移し、コンサルティング会社インテカーを設立。イノベーションや起業で生じる多様な課題に対しアドバイザーとして、時には資本支援もしながら現在に至る。世界各地で開かれる起業家コンテストの審査員を務め、ダボス会議ではボードメンバーとして、日本の識者達を同会議に広く導くことに貢献している。官民学の分野を問わないグローバルな活動は、その実績と共に各界の反響を呼んでおり、日本がグローバルに発展するための力強いご意見番としてマスコミからも熱い視線を集めている。[プロフィール]
1971年カリフォルニア生まれの日系二世。16歳でカリフォルニア大学リバーサイド校に合格。同大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部を卒業。10代で商用ソフトウェアのプログラミングを始め、その大学在学中にI/Oソフトウェアを設立。1998年に27歳で「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」(アーンスト・アンド・ヤング、ナスダックおよびUSAトゥデイ主催)を受賞。暗号、生体認証、サイバーセキュリティに関する第一人者。
2012年には、総理大臣直属の国家戦略会議で委員を拝命し、また日本の憲政史上初めて国会に設置された、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(NAIIC)では、ITなどのインフラ設備構築で手腕を発揮した。また、2012年10月号日経ビジネス「次代を創る100人」に選出。
2013年12月より、内閣府本府参与に任命されている。
日本語著書に「ザ・チーム-日本の一番大きな問題を解く」がある。
http://saitohome.com/ja/about/
- 北田 淳 ナビゲーター ((株)コンデナスト・ジャパン 代表取締役社長)
[エピソード]
コンデナスト・ジャパン入って日本人(私)の「国際感覚」の無さを実感しました。グローバルな会社なので責任者が一同に集まると二十数カ国から集まることになります。ディナーでは政治や経済の話はもちろんですが、自国のことを聞かれる事がたびたびありました。私はうまく説明できなかったのですが、他の国の人たちはきちんと自国のアピールや説明ができるんですよ。その時に国際人としてのギャップを深く感じました。
それがきっかけで「日本全国の居酒屋食べ歩き」をやり始めもう10年近くになると思います。今では最初の目的からそれてしまって純粋に居酒屋を楽しんでいるだけのようにも思えますが(笑)、今現在で行っていない都道府県は残り3つだけとなりました。サーフィンの後に居酒屋へ行くのが私の趣味です。[プロフィール]
株式会社アド電通東京、株式会社中央公論社を経て、コンデナスト・ジャパンにてVOGUE JAPAN広告部広告部長、GQ JAPAN広告部長、広告・マーケティング部長、広告・マーケティング部長・販売担当副社長を歴任。現在、コンデナスト・ジャパン社長兼VOGUE JAPAN / GQ JAPAN / VOGUE girl / WIRED発行人を務める。
http://corp.condenast.jp/about/
- AViA -DJ & Trackmaker- ナビゲーター (ミュージック Creater & Producer)
[エピソード]
2002年に就職活動を休止し、自分を見つける旅をするためにオーストラリアのシドニーに旅立つ。シドニーではなぜか Granville というシティーの中心地から外れた場所(少しへんぴな所)に、イギリス人、日本人などとシェアという形式で住んでいた。その家を選んだ理由はギターやオルガンなどの楽器がリビングにあり音楽が好きな人が集まっているように感じたからでした。
今でも覚えていることは、その家にある楽器で曲を作って、シェアメイトに聞かせて「いいね」と喜んでもらえた事(もし今聞いたら全然ダメかもしれませんが)。シドニーでの経験で感じたことは、結局は音楽や曲はどこでも作れるという事(自分がやるかどうかということ)。そして、やっぱり自分は音楽が好きだということを実感しました。帰国後に就職をしないでプロの道へ進むことを決めたのも自然な流れでした。[プロフィール]
名古屋出身の3人組HIPHOPユニット「カルテット(KARUTETTO)」 のDJ & Trackmaker。 HIPHOPのみならず、自らの琴線に触れた音をDOPEに吸収し、POPに吐き出す。現在はMusic Creator、Producerとしても活躍中。
ユニットは2002年に結成。そして2006年にビクターエンタテインメントSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューをする。AViA(SOUND)、NAL(RAP)、SAMON(VOCAL)の同級生三人組み。三人だけどカルテット、四人目最後の一枠、受け取ってくれる「あなた」を求め続けているというコンセプトで活動中。
2012年、ZIP-FMの看板DJであるオチケンこと落合健太郎との謎のコラボユニット「東海珍味」としてデビューにしてBESTアルバム「東海珍味」をリリース!!ZIPうたRADIMOにて年間ダウンロード1位、CMタイアップ、ZIPチャート1位、Amazonのヒップホップチャート1位など誰もが予想しない驚きの結果を生んだこれからも注目のユニット。
現在、モデル、タレント、ラジオDJでもある大脇愛(http://www.ai-ohwaki.com)の音楽プロデュースもしている。
カルテットの曲はこちら↓
http://www.karutetto.com/discography.html
- エリック ナビゲーター(dfb music 代表取締役 NHKの番組えいごであそぼに出演中)
[エピソード] エリック ジェイコブセン氏
子供の頃はなせかよく嘘をつく子供てした(笑)。例えは、スキーに行く前に「歯磨きをし ましたか?」と聞かれて、していないのに「Yes」と答えるような子供てした。母はすかざす歯ブラシか濡れているか確認し、直くに嘘かばれてしまいます。 そんな時、彼女はおこらずに「嘘をついたから、今日はスキーに行かないね」と言って、本当にスキーに連れて行ってくれませんでした。ある年のお誕生日の数日前、「サンドイッチは食べた?」と聞かれて、いつものように食べていないのに「Yes」と答えた僕。これもすぐにばれ、母は怒ることなく淡々と「嘘をついたから、今年のお誕生日はなしね」と一言。そして、本当にケーキもプレゼントも何もないお誕生日でした。母は、その場だけで言うのではなく、嘘という行為の結果として何かができない、もらえないという事を僕に体験させていきました。 その衝撃的なお誕生日の後、家の壁がコマで削られているのを母親が見つけました。お誕生日のショックが大きかったのもあり、今回は勇気を振り絞って正直に「It was me」と言いました。そして母親から 出てきた言葉は「本当の事を言えて偉いね、エリック」でした。今でも覚えていますが、これは凄く衝撃的てしたね! それまて嘘をよくついていただけに、「本当の事を言っても大丈夫なんた」という別の世界を見た感じでした。それ以降、僕は嘘をつかなくなりました。我慢強い母親にとっても感謝しています![プロフィール]
ニューヨーク州生まれ、マサチューセッツ州ウィリアムズタウンの豊かな自然の中で育つ。山梨県立日川高等学校に交換留学生として1年間在籍した後、コロラド州立大学に入学し日本語学と日本文学を専攻する。
1998年(平成10年)より現在に至り、NHKの番組『えいごであそぼ』(登場当時は『英語であそぼ』)に出演。
20年以上にわたりエデュテインメント(=教育エンターテイメント)の世界を中心にTV番組、子供英語教材(CD/DVDなど)などへ向けて多くの曲を送りだし、作詞作曲活動、TV番組出演、 番組制作、英語教材開発など多岐にわたる活動をしている。 日本の各地で出張子ども向けコンサートも実施中。 英語の自然なリズムを生かした曲作り、言葉を巧みにあやつる詩的センスには子どもやお母さん、お父さんを中心に多くのファンをもつ。
- 川内 和子 ナビゲーター (NPO法人 エンデバージャパン 創設者)
[エピソード]
大学3年の時に「英字新聞」で米国国際線航空会社のフライト・アテンダントの募集を見つけました。いつも外国に行きたいと思っていたこともあり、応募する事を決意。応募のためには電話連絡をしてインタビューを5日以内にしないといけないというので4日間ずっと電話をかけたがかからない。電話インタビューの最終日の30分前になったがやはりかからなかったが、いつも電話の前にいることを不審に思った母親が事情を聞き、電話をしてくれたら、直ぐに繋がり、次の面接に行く事ができました。その後ホテルの2次面接に行ったがなぜ自分が選ばれたか正直良く分からなかった。なぜかというと自分は化粧もしていないのに、周りの人はみな綺麗に着飾った人たちばかりだったからです。しかし最終面接まで行き、国際線のフライト・アテンダントになることができました。そのおかげで若くしてにアメリカに住み、色々な経験ができたことが今でも財産になっています。[プロフィール]
早稲田大学卒業。大学3年次に米国国際線航空会社のフライト・アテンダントに最年少で採用され、米国での トレーニング後、米国に居住し世界路線で世界をめぐる。大学卒業後は、米国最大手銀行、米国大手投資銀行等を経て2008年春に、世界の知識を広め・知識 を共有することをめざすNPO法人 エンデバー・ジャパン(Endeavour Japan)を創設。
また、2012-2013にToastmasters International のDistrict 76 District Governor (日本代表)として全国に 140以上あるクラブを統括。2014年にはRegion 13 でRegion Advisor に任命され日本のみならずアジアでも活躍。現在、東アジア6か国(日本、台湾、韓国、中国、インド、スリランカ)の8ディストリクト・リーダーにマーケティング並びにオペレーション面でのアドバイスを行っている。8ディストリクトには約1,300クラブ(約6万4千名のメンバー)を擁している。[参考サイト]
1) NPO法人 エンデバージャパン 2) Toastmasters Regional 13 leader
- 小野 美鈴 ナビゲーター (子供向け英会話教室「くまのもり poco a poco」創設者)
[エピソード]
子供が大きくなり自分の時間が作れるようになったので仕事を探し始めました。どの会社に電話をかけても「事務職をやったことがない」「パソコンをつかったことがない」などと答えるとその場で断られていました。そこで自分がいかに社会音痴であるかを知りました。それがきっかけでパソコンを習おうと決め、当時35万円もするコンピューターを夫に買ってもらい、パソコン教室に通いました。パソコンの面白さに触れ、夢中になって勉強をしたら何と聖学院大学に非常勤の講師として採用されてしまいました。 大学ではたった1つの授業に対して何十時間も準備に時間をかけるという準備の大切さを知るという貴重な体験をさせていただきました。また、自分が納得する講義ができるかどうかは準備の質によることが実感できました。 準備が万全のときは自信を持って講義ができ、生徒に役立つ内容が提供できました。その経験から本番で輝くためにはその何十倍の時間を費やして準備をすることが絶対条件であることを深く感じました。[プロフィール]
短期大学卒業と同時に保育士及び幼稚園教諭の免許取得。保育所に4年間勤務した後、結婚退職。2児の母となり、地域の子ども会の役員等をしながら、小学校で剣道を教える(長男が小学校一年生で習い始めると同時に自分も習い、お情けで2段取得)などして、母親業をたっぷり楽しむことに専念。
40歳でパソコン教室に通い、P検定2級を取得。その後インストラクターとしてパソコン教室勤務し、P検定試験認定試験管となる。日本パソコン普及協会より推薦され、文系大学へパソコン応用科目の非常勤講師として勤務。任期を終え、パソコン・インストラクターに復職するが、広告やHP作成を手掛けたくなり、英会話スクールに広報担当として転職。働きながら、英語の楽しさと必要性を強く感じるようになり、志を同じくしている仲間と一緒に今の子供向け英会話教室「くまのもり poco a poco」を企業。家庭環境も違う様々な子ども達みんなが沢山のチャンスに巡り会ってほしいと願うようになり(英語に限らなくても)ました。今後も、子ども一人一人の未来のために発信できることを考え、作っていきたいと考えている。
アナタのためのサンプルビデオ・コーナー(1)
メンバー限定サイトにあるビデオの一部がチラ見できます!
[サンプル・ビデオ (川内 和子氏)]
英字新聞で見つけた米国国際線航空会社のフライト・アテンダントへ応募!
[サンプル・ビデオ (吉田 賢治郎氏 ブロガー)] *低音量*
まったく勉強しなかった学生が「カッコイイ」の一念でIT業界へ就職!
[サンプル・ビデオ (AViA 氏 -音楽プロデュサー)] * 2 *
夢を追いかける自分と現実を教えようとする周り